自分なりに考える

最初のブログを書いてから、考えていました。
わたしは何故、アウトプットが苦手なのか。何故しゃべれないのか。 


他者の視線が気になる

まぁ、これですよね。
わたしは誰かの顔色を伺ったり、空気を読んだりするのは苦手ではありません。
それにもめ事は嫌いだし、嫌われたり、怒られたりすることも怖い。

なのでひとまずは正論で武装はします。何かコメントしなければならない時、わたしの言うことはとりあえず正論なので、(何が正論かという議論になればそりゃ脆い武装ですが。)ガチガチに武装していると案外攻撃そのものを受けません。

あとは、よく知らない人とあまり会話をしません。喋れないから喋らないし、ボロを出したくないので喋らない。

いずれも、ひいては話しかけにくいオーラが出て、友だちはできにくくなっていると思われます。
ていうか友だちは少ないです。

他者の視線を気にして嫌われないようにしてるはずなのに、結局好かれもしません。

小、中学生時代は、わたしは学校も学校の友人関係もあまりポジティブに捉えられず、何なら学校やめて働きたいとさえ思っていました。一度それを口に出したら、母が結構悩んでしまったので、思い留まりましたが。

レベルの高い学校に行けばいいのだと思い、(要は周りのレベルが低いんだと思ってた。)頑張って受験勉強をしました。希望の高校に合格し、心機一転新しいわたしになって高校デビュー!と鼻息荒くして新生活のスタートを切りました…が、結局入学当初はほとんど友だちができませんでした。

結局どこにいたってあまり喋らないないほうが無難だし自分が傷つかないというところに戻り、今に至ります。


言い訳をしたくない

喋らないことのひとつには、起こったことについての弁明をするのが、あまり好きではないというのがあります。
嫌われたくないと言いつつ、弁明をして取り繕う努力をしないのも矛盾した話かもしれません。

仕事などで、ミスをしたり、何かまずい事態になった時に、振り返り再発を防ぐ、みたいなことを軽視しているのではありません。
自分の立場を守るための言い訳をするのがちょっと気持ち悪いのです。
ただ、これも、開き直ってると取られてしまうと相手を余計怒らせてしまいますので、そこはさすがにわたしもそれなりの態度です。


何考えてるかわからない

でしょうね…
これはハッキリ言われました。
元夫に。

それでも家族だから、わたしなりに伝える努力はしたのですが。
元夫との関係性については、いずれまた書こうと思います。いや、何考えてるかわからないのが原因で離婚したわけじゃないですよ。


そもそも考えてないんじゃない?

最近自分でも本当に自信がありません。
周りには、何か高尚な意見を持っているのにもったいぶって話さないだけ、みたいな印象も与えているのかもと思うし、わたしも自分なりにものを考えているタイプの人間だと思っていましたが、そうでもないかも、と思えてきました。

わたしの考え(と今まで思ってきたこと)って、いつも誰かの受け売りのような気がするし、自分で考えたことじゃないような気がしています。
自分の考えを持つには材料となるべき知識が全然足りない気がするし、そういう意味でも自信がないのです。

でも、考えるトレーニングというのはできるような気がしています。何もかも受け身の姿勢や態度でいるのではなく、それを発信することはできなくても、自分だったらどうかとか、この言い分には筋が通っているのかといつも考える、みたいな。
わたしは自分の子どもが、見たくてつけているわけでもないテレビをダラダラ見続けることを禁じています。ダラダラ見のテレビに対して、全く無防備に受け身に、何も考えていない状態になることがとてもこわいなと思うので。
そして8歳の彼女に言います。「テレビで言っていることが真実なわけではない、自分で考えて見極めなさい」と。


結局何が言いたいの?笑

いやはや…本当に、オチも何もない話。
言いたいことがよく分からなくなってきました…
ともあれ…アウトプットするだけじゃなくて、それ以前に自分で考えなくちゃと思えてきたのです。
考えてるつもりで考えてるわけでもない、ってのは自分で認めるのはなかなか勇気のいることでした。


こうして、誰がみるかわからないところにこんなこと書いているのも、勇気いるなーとしみじみ思います。


長〜いひとりごとですね。