帰省

少し前に、友人の結婚式に参列するため半年ぶりに帰省をしました。
実家は今の住まいからは飛行機を使って帰るのが常な程度に遠方で、夏休みと年末年始に、ヒーヒー言いながら飛行機代を捻出して帰るのがやっとです。
なので、この季節に地元の空気を吸うのは本当に久しぶりのことでした。

せっかくなので、今は施設で暮らす父方の祖母に、母と娘と三人で会いに行きました。
祖母には帰省のたびに会いに行くのですが、脚の悪くなった祖母は会うたびに自力でできる範囲が狭くなっています。

私たちが行った日は施設のレクで、カラオケ大会の最中でした。一番端の席に座ってた祖母を見つけ、声をかけました。
祖母は声をかけた母の顔を見るなり、「あぁ、来てくれたの…」と泣き出してしまいました。
そして私と娘の顔を見て、ますます涙が…


私の両親も、私が10歳の時に離婚をしました。
それが離婚の理由では無いのですが、母と祖母の嫁姑関係は絵に描いたように良くなかったそうで、元々同居でスタートした結婚生活も、あまりの不仲に見かねた祖父が、私たちが住む部屋を探してきて、別に暮らすようになったくらいで。

離婚後も母は、私を祖父母の所へ行かせてくれました。父に会うことも母から何の制約もされませんでした。
「パパとママは別れたけど、あなたのパパであることには変わらない」
「あなたのおじいちゃんおばあちゃんであることに変わらない」
母は一貫してこの主義でした。

最初のうちは私一人でおじいちゃんおばあちゃんの家に行っていました。
そのうち、時々は母も家に上がったりするようになり、一緒にごはん食べたりするようにもなり。

私が大学進学で地元を離れてからは、母一人でも行くようになり、祖父母の病院への送迎をしてあげたり、そのうち、土曜日は毎週行って、買い物の手伝いをしたり、おかずを持って行ってあげたりするようになっていました。

何故そんなことできるのか、私には理解できなかったのですが、母は、「自分の親はもう亡くなってるし、おじいちゃんおばあちゃんが親みたいな感じだからかなぁ」と。

介護保険が使えるようになって、ヘルパーさんが入るようになってからは、少しずつ通う頻度が減っていきました。

数年前に祖父が亡くなった時も、「私が出しゃばるのは良くないから」と、私に香典を託し葬儀には参列しませんでした。

私は、我が母ながら、すごいかっこいいなと思っていました。母の心中はわからないけれど、引き際の潔さとか、恩を着せる感じが一切無い。

祖母は、私が見る限り本当に母を信頼して、頼っていたし、別れた嫁と姑って感じは全然無かった。それが不思議だったけど、私はそんな母がいつも誇らしかった。

今回、半年ぶりに会った祖母は、ますます足腰が弱り、言葉も聞き取りにくい感じになってて、元気だった、とは言い難い状態でした。

いろんな状況が錯誤して、娘を私と思っていたりした時もあったけど、この日は私たち三人のことをきちんと認識し、何度も涙を流していました。

齢92歳のおばあちゃん、また夏休みに帰った時、名前を呼んでもらえたら嬉しいな。

シングルマザーの悲哀

パートタイマーでシングルマザーのわたし。

生活を維持するのは大変です。
時間も有限、資源もほぼ無し。
大事にしなくてはならないものと、ある程度諦めなくてはいけないこと、常にその選択を迫られる。

なら何故離婚をしたのか、何故子どもを産んだのか、そんな声が聞こえてきそうで、ちょっとした愚痴や願望なんかを口にすることも、何となくはばかられる思いがします。

自分が今までしてきた選択は、常にその時のベストだったと思っているし、誰かのせいにしたこともありません。これからの人生や育児も、ちゃんと自分で落とし前をつける覚悟です。

でも、時々ちょっとだけ。
ちょっとだけでもいい、なかなか叶わない小さいことを願ってみたり、疲れた時にため息をこぼしてみたり、そんな時間や空間があったらいいなぁと、思います。

自己責任は重々受け止めてる。
でも、1人の時間がちょっと欲しいなとか、たまには美味しいもの食べに行きたいとか、かわいいお財布が欲しいとか、そういうことを願ったり叶えたりする余裕も無く、とにかく毎日仕事をし、子の世話と心配をし、そうやって日々必死に生きて、子がいるだけで幸せなはずなのにそれ以上を願うのはまるで罪だとでもいうかのように、余白を削り取らなきゃならないものかとも思ったり。

毎日必死だと、知らず知らず自分を追い詰めてしまうもので。
残り物を詰めた弁当から、見事に汁漏れしていてバッグが汚れたり、洗濯した娘の体操服のポケットにティッシュが入っていて、洗濯物が悲惨なことになったり、そういう些細な失敗が重なった日は、涙が出てきちゃったりします。
なんで、なんで、こんな事ばかりなの!こんながんばってるのに!って…

しょーもないことだって、よくわかってるけれどね。

だから、このやり場のない行きづまり感をデトックスする必要があるんだと思って、今日は書きました。



だけどやっぱり、ムスメの寝顔は今日も可愛く、愛おしく、彼女がこの世にいてくれる事を心から幸せに思うのですけど。

面会

元夫、お義母さんに会ってきました。

案外何事も無かったように振る舞えました。彼等も、わたしも。

わたしは、前と何も変わらないような顔をしながら、それを馬鹿らしいと思いながら、でも、人として生きるって、きっとこういうことだと、自分の置かれた状況を妙に俯瞰して見てたりもしました。
娘には、この、妙な大人たちの関係はどう映っているのかなと、そんなことも考えていました。

どう映っているのかはさておき、娘は嬉しそうに、楽しそうにそこにいて、彼等もそれに満足していたようです。

わたしは何となく、務めを果たすような気持ちでいて、今回の目的は達成できたと思っていました。

彼が「次」を口にするまでは。

それは当たり前のことなのでしょう。別れた父娘の面会が一度きりなわけはありません。
ただ、わたしとしては、この一回を決意できるようになるまで、随分時間が掛かったし、この一回でその後のことが簡単になったわけでもない。

今回、お義母さんのためという趣旨で、かなりの決意で出向いたわたしの気持ちや意向などというものは、彼にとって何の意味も無いのだということを思い知り、自分の浅はかさを呪いました。

急にどんよりとした気持ちになり、彼が怖くなり、もうその後は目を合わせられませんでした。

それでも、やはり会って良かったのだと思います。娘が変わらず彼等を好きでいること、彼等が娘を大事に思っていること、お互いがちゃんと確認できたのだから。

先週の土曜日、友人と花見をしてきました。
満開の桜、ビール…

甘美であります…


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一年前の今日、私は娘の手を引き、夫と暮らしていた家を出ました。
逃げなくてはならない。そして、彼に気付いてもらわなくてはならない。

駅までの道すがら、散りかけの桜に、その時初めて気がつきました。
毎日の通勤路。並木のように桜の木が並ぶ駅前の道です。

「もう散るじゃない!」と思わず呟きまさした。余裕が無ければ季節の移ろいさえも見失うのだと思いました。


今年は「もうすぐ咲くかなー」と、毎日桜の木を見上げることができました。

この一年の間に、私はたくさんの物を失くし、諦めもしたけれど、娘が今ここにいるという幸せ、そして、桜の木を見上げて春の日を喜ぶことのできる生活が戻ったことは、何にも変えがたいと思っています。

私はこれから、これをちゃんと大事にする人生を、送りたいのです。


自分なりに考える

最初のブログを書いてから、考えていました。
わたしは何故、アウトプットが苦手なのか。何故しゃべれないのか。 


他者の視線が気になる

まぁ、これですよね。
わたしは誰かの顔色を伺ったり、空気を読んだりするのは苦手ではありません。
それにもめ事は嫌いだし、嫌われたり、怒られたりすることも怖い。

なのでひとまずは正論で武装はします。何かコメントしなければならない時、わたしの言うことはとりあえず正論なので、(何が正論かという議論になればそりゃ脆い武装ですが。)ガチガチに武装していると案外攻撃そのものを受けません。

あとは、よく知らない人とあまり会話をしません。喋れないから喋らないし、ボロを出したくないので喋らない。

いずれも、ひいては話しかけにくいオーラが出て、友だちはできにくくなっていると思われます。
ていうか友だちは少ないです。

他者の視線を気にして嫌われないようにしてるはずなのに、結局好かれもしません。

小、中学生時代は、わたしは学校も学校の友人関係もあまりポジティブに捉えられず、何なら学校やめて働きたいとさえ思っていました。一度それを口に出したら、母が結構悩んでしまったので、思い留まりましたが。

レベルの高い学校に行けばいいのだと思い、(要は周りのレベルが低いんだと思ってた。)頑張って受験勉強をしました。希望の高校に合格し、心機一転新しいわたしになって高校デビュー!と鼻息荒くして新生活のスタートを切りました…が、結局入学当初はほとんど友だちができませんでした。

結局どこにいたってあまり喋らないないほうが無難だし自分が傷つかないというところに戻り、今に至ります。


言い訳をしたくない

喋らないことのひとつには、起こったことについての弁明をするのが、あまり好きではないというのがあります。
嫌われたくないと言いつつ、弁明をして取り繕う努力をしないのも矛盾した話かもしれません。

仕事などで、ミスをしたり、何かまずい事態になった時に、振り返り再発を防ぐ、みたいなことを軽視しているのではありません。
自分の立場を守るための言い訳をするのがちょっと気持ち悪いのです。
ただ、これも、開き直ってると取られてしまうと相手を余計怒らせてしまいますので、そこはさすがにわたしもそれなりの態度です。


何考えてるかわからない

でしょうね…
これはハッキリ言われました。
元夫に。

それでも家族だから、わたしなりに伝える努力はしたのですが。
元夫との関係性については、いずれまた書こうと思います。いや、何考えてるかわからないのが原因で離婚したわけじゃないですよ。


そもそも考えてないんじゃない?

最近自分でも本当に自信がありません。
周りには、何か高尚な意見を持っているのにもったいぶって話さないだけ、みたいな印象も与えているのかもと思うし、わたしも自分なりにものを考えているタイプの人間だと思っていましたが、そうでもないかも、と思えてきました。

わたしの考え(と今まで思ってきたこと)って、いつも誰かの受け売りのような気がするし、自分で考えたことじゃないような気がしています。
自分の考えを持つには材料となるべき知識が全然足りない気がするし、そういう意味でも自信がないのです。

でも、考えるトレーニングというのはできるような気がしています。何もかも受け身の姿勢や態度でいるのではなく、それを発信することはできなくても、自分だったらどうかとか、この言い分には筋が通っているのかといつも考える、みたいな。
わたしは自分の子どもが、見たくてつけているわけでもないテレビをダラダラ見続けることを禁じています。ダラダラ見のテレビに対して、全く無防備に受け身に、何も考えていない状態になることがとてもこわいなと思うので。
そして8歳の彼女に言います。「テレビで言っていることが真実なわけではない、自分で考えて見極めなさい」と。


結局何が言いたいの?笑

いやはや…本当に、オチも何もない話。
言いたいことがよく分からなくなってきました…
ともあれ…アウトプットするだけじゃなくて、それ以前に自分で考えなくちゃと思えてきたのです。
考えてるつもりで考えてるわけでもない、ってのは自分で認めるのはなかなか勇気のいることでした。


こうして、誰がみるかわからないところにこんなこと書いているのも、勇気いるなーとしみじみ思います。


長〜いひとりごとですね。



書くこと話すこと

わたしは頭の中で考えてることをアウトプットするのが苦手です。

特に、しゃべるのが苦手… 
もういい年をして人見知りとも言いたくないのですが、たぶんそれは自分が話し下手だからなのですよね。

どうしたものか…
例えばミーティングの場で意見を求められたり、何かの感想を聞かれたり、まずもって自分が喋ったことを後悔しないことはありません。

思えば大学のゼミ発表でも、一応毎回レジュメを作って発表の流れは決めているはずなのに、モゴモゴしてしまい、狭いゼミ室の中で、聞こえないとか言われてしまうほど声が小さくなってしまったり…
何度かゼミ発表を経験し、これ(自分のプレゼンスキル)じゃダメだなと悟り、卒論発表会の時は、まんま読み上げるだけの原稿を作り(まるきり話し言葉で。)、時間も計って何度か練習をしてから臨みました。
(同じ研究室の友人に、今までの発表と全然違ってとても良かったと驚かれた)


しかし、あれから10年以上経つのに、そして社会人としての経験も多少積んできたのに、私の話すというスキルにはほとんど進歩がありません…

もう三十路も半ば。いい加減自分の考えをちゃんとアウトプットできる人になりたい。いつも自分の考えを整理してきちんと相手に伝えられるようになりたい。


文章を書くことで自分の考えてることをきちんと言語化して整理しておきたいなという動機で、ブログを書いていこうと思います。

どうぞよろしくお願いします。